メロニアSS 「akaringo」のリリーさんから頂きました。


僕は君の猫になりたい







ボックスインラブ







僕は四角いハコの中にいる。
生まれた時はたぶんもっと広い所にいたと思うのだけれど。とにかく物心ついた時からずっと、僕はこの、世界から四角く
切り取られたハコの中で呼吸し、食べて、それから惰眠を貪って過ごしている。
このハコの中からは、いつも同じ景色しか見えない。
向かいに積まれた同じようなハコの中には、僕らより一回り大きな子供が、同じように呼吸して食べて眠っている。
僕らと彼らの間には広い通路があって、そこをいつもいつも別の人間たちが行ったり来たりしては僕らのハコの中を覗き、向いのハコを覗き、僕らの上や下のハコに目をやったりしている。
透明なガラスが貼られたハコのギリギリまでやってくれば、向こう側の世界が少しは広く見えるのだけど、それをするとハコを覗き込んでいた奴らが目を輝かせて黄色い視線と声をくべてくるので、僕はうんざりしてハコの奥へ移動してしまう。
でも、僕は知っている。
僕らはいつか、そうやって僕らを覗き込んで頬を高揚させた奴らに、引き取られなければいけないということを。
そうして一生、僕らはそいつに媚びて、甘い声を上げて、ご機嫌を取って暮らしていかなければならないということを。

うんざりしてしまう。
僕は僕の猫に生まれたかった。
僕は僕だけの猫でありたかった。

僕は生れてしばらくして、母親の元を離れた。
その時の記憶は輪郭がぼんやりと曖昧で、よく思い出すことができない。
他に兄弟がいたような気がするけれど、思い出したいと思うほどの興味もない。
大きな人間の手に掴まれてここへやってきて、しばらくはとても広い所で暖かいタオルにくるまれて過ごした。
強制的に呑ませられる、薄くて匂いが鼻につくミルクを除けば、僕はその生活に満足していた。
一生こうしてタオルに包まれて暮らすのも悪くないなぁ、とも思った。
でもそのころに、僕は僕の一生がどういうものになるのか大体の道筋を理解してしまった。
僕にミルクを与える人間が、今日はどの猫が売れた、どの犬に買い手がついた、というのを聞き、大きくなり過ぎて買い手がつかなくなってしまった動物たちの話を聞くうちに、僕はいずれショーケースに入れられて、人間たちから好奇の視線を寄せられ、そしてそいつらに引き取られて一生自由のきかない生活を送らなければならなくなる、というのを知ってしまった。
少しだけ絶望した。
僕は誰かのものになるのが嫌だった。
それを、他の動物たちは傲慢だと言った。
ペットは飼い主のためにあるのだから、とたしなめるように言われたりもした。
けれど僕は、僕の猫になりたかった。
誰の制約も受けず、誰の世話にもならず、僕だけを愛し、僕が望むように生きたかった。
それはひどく傲慢で我儘で、そして現実にはとても厳しい生き方だというのは分かっていた。
だけど僕は、外の世界で自由に生きる野良猫たちに嫉妬せずにはおれなかった。

そんな思いを抱いても、現実は残酷だった。
僕はあっという間にショーケースの生活に入った。
僕が初めてショーケースに入ったとき、中には僕より少し大きな灰色の猫がいた。
彼は僕に、はじめまして、と言った後に、ひどく不愉快そうな目をした。
彼はペルシャ猫だと名乗った。
僕には名乗れるようなラベルがなくて、しょうがなくよろしく、とだけ返した。

僕は普通の猫だった。
ペルシャだとかアメリカンなんとかとか言う、ブランド名は僕にはなかった。
僕はただの黒猫で、本来ならばこんなショーケースに並ぶような猫ではなかった。
ただひとつだけ、僕が他の黒猫と違うところがあるのだとすれば、それは眼だった。
子猫は最初、蒼い瞳を持って生まれる。
けれど年がかさむにつれて、それは徐々に橙に近い黄色へと変化していく。
それなのに、何故だか僕は蒼い目のままだった。
そしてその青は、他の猫たちの瞳よりも強烈に光を持っていた。
黒の毛並みにブルーの瞳。
それだけが、僕の全てだった。

僕がショーケースに入れられて一週間も経たないうちに、ペルシャ猫はショーケースの中から出て行った。少しだけ勝ち誇ったような顔が癪に障ったけれど、僕は買われていくのが素晴らしこととは到底思えなかったので、横目でちらりと彼を見送っただけだった。

しばらくは、一人での生活が続いた。
ペルシャ猫がいた時も大して会話なんてものは交わさなかったので、部屋が広くなったと思えば特に孤独も感じない。
悠々自適とは程遠いけど、とりあえず僕は自分のことだけを愛して、外の世界を蔑んで生きていた。
ペルシャ猫がいなくなって一か月が経ったころ、ようやく新しい猫が僕のショーケースへやってきた。
一人の生活が快適に思えていたので、僕は新しく入ってくるという、まだ見たこともない猫が気に入らなかった。
けれど、入ってきた白い猫を見て、僕はその毛並みと同じように頭の中が真っ白になってしまった。

店員の手でショーケースに入ってきたその猫は、ショーケースデビューをするには少しばかり大きな猫だった。
とはいっても僕よりは年下で、白い毛並みに緋色の眼をしていた。
真っ赤だった。
ハコに入れる前に一度だけ見た、血の色に似ていた。

「よろしく」

ぽつりと零すように言うと、白い彼は億劫そうに緋色をこちらへむけて、

「こちらこそ」

と淡白に返しただけだった。
彼は体が特別弱いらしかった。
食事の時間以外にもハコの中から出されて、薬を飲まされていた。
帰ってくると大抵不機嫌で、僕も声をかけるようなことはなかった。
しばらくは会話も交わさなかった。
仲良くなる必要などないと思っていたのだ。
どうせさっさと買われていく猫なら、親しくなったってしょうがない。
ハコに入れられてだいぶ経ったが、僕には買い手がつかなかった。
そりゃあそうだ。
真っ黒の猫を、わざわざペットショップで買おうという奴なんてそうそういない。
下のハコからアメリカンショートヘアが店員に抱かれていくところを片目で見ながら、僕は大きく欠伸をした。

白い彼が入ってから、僕らのショーケースの前に立ち止まる人間が少しばかり増えた。
もちろんお目当てはハコの奥で丸まってぴくりとも動かない彼なんだろうが、店員が申し訳なさそうに

「少し弱いので、毎日決まった時間に薬を与えなきゃならないんです」

というと、みんな渋い顔をして立ち去って行ってしまう。
僕は身勝手だなぁ、と思ったが、奥にいる白い個体は何とも思っていないのか、ぐうすか眠っているだけだった。

「ねぇ、君」

白い彼が僕のハコに入ってきて一か月たったころ、僕は彼に声をかけてみた。
彼は鬱陶しそうに片目を開けて、何か?と聞いた。

「あぁ、えっと‥‥」

僕は自分が今から言おうとしていることが、なんだかとてつもなく恥ずかしいことに思えて押し黙った。
それを見ると彼は、首をかしげて両目を開けてから、ゆっくりと起き上がって僕に向き直った。

「どうしたんですか?」

「あのさぁ、名前、決めないか?」

意を決してそう言うと、目の前の彼は目をパチパチ瞬かせて、よく理解できないと言いたげな表情で僕を見た。

「せっかく同じハコの中にいるんだから、少し仲良くしよう。でも、僕は君をなんて呼んでいいか分からないから」

早口でそう言うと、でも、と彼は言った。

「でも、私だって私をなんて呼んだらいいかなんて、分りませんよ」

そう言われると、それは確かにそうだな、と思った。
僕だって、僕をなんて呼んだらいいのか分からない。
そんなの決める権利すら、僕らにはないのだ。

「じゃあさ、君が僕に名前をつけてよ」

しばらく考えた後そう言うと、彼は緋色の眼を大きく開いて、え?と疑問の声を零した。

「僕が君に名前をつけてあげるから、君が僕に名前をつけてよ。それなら、いいだろ?」

彼は首をかしげた姿勢のまま、目を天井の隅の方に向けて黙っていた。
けれど、少し経つと僕に視線を戻して、小さく頷いた。
なんだかぎこちない頷き方だった。

「いいですよ。そうしましょう」

僕はほっとして、気が緩んで頬の筋肉まで緩んでしまった。
そうして僕は、彼に「ニア」と名前をつけた。


「君はニア。僕の一番近くにいるから」

「あなたメロ。まだ子供のくせに、大人ぶった成熟な眼をしているから」


ニアの理由はちょっと癪に障ったけれど、僕はニアのつけた名前が結構気に入ったので、それは言わないことにした。

ニアには、僕と同じようにブランド名はなかった。
真っ白の毛に真っ赤な瞳が珍しいという理由だけで、このペットショップに買い取られたらしい。
僕と同じでここに来る前のことはあまり覚えていなかった。
僕はニアに少し興味がわいた。
ここにいる奴らは大抵自分の血統に自惚れて、よりよい買い手がつくことにしか興味がない馬鹿な奴らばっかりだけれど、ニアはそれに対して少しの興味も抱いていなかった。
僕らはよく話をするようになった。
向かいにいるチワワは目がぎょろぎょろしていて爬虫類みたいだ、とか、下のショーケースにいる猫は鳴き声が媚びってて頭にくる、とか、大抵はくだらなくてどうでもいいことで、でも時々、僕は野良猫になりたかった、とか、私は一生このハコにいたい、とか僕らの中の核心に触れるような会話だった。
人工的に暖かいハコの中では寒さなんて感じないのに、僕らやよく身を寄せ合って眠るようになった。
ニアの体温はとても心地よい。
柔らかくて白いニアは、僕の内側を優しく撫でて溶かしてくれるように温かかった。

「ねぇ、メロ」

ある日、ニアは言った。
部屋の電気は消えて、中も外も真っ暗だった。
僕らは本来、夜が好きな生き物だから、僕らは身を寄せ合っていても眠ることなく、ダラダラ話をしていた。

「どうしたの?」

「あなたはどうして、自分の猫になりたい、なんて思ったんですか?」

僕はうーん、と首をひねった。
僕はずっと、自分の猫になりたいと思い続けてきたけれど、突然、それは何故?なんて聞かれると明確な答えが浮かんでこなかった。

「なんでかなぁ、僕は、自分だけを愛していたいから、かな?」

ニアは僕の方に顔を向けて、それで?と聞いた。

「だって、買い取られたら僕らは飼い主を愛さなきゃいけなくなるだろう?僕らには、誰かを選んで愛する権利すらないのさ。そんなのってないって、思わない?」

僕は、誰かを強制的に愛したくはなかった。
ここから出て行った奴らは、それを無条件に受け入れていたようだけど、僕にはそれが理解できない。
僕は僕に愛情を向けてくれる人間を、ただそれだけで愛するなんてできない。

「ニアはどう思う?」

僕が話を振ると、ニアは少し押し黙った。
ニアが黙るときはいつも物事を深く考えている時だと分かっていたので、僕は寝そべったまま催促せずにニアの言葉を待っていた。

「そう‥‥ですね、私もメロに同感です。私達は何一つ自分で決めることができないんですね。あなたがつけてくれたこの名前も、いつかは失われてしまうんですから」

ニアはしみじみとそう言った。
その言葉を聞いた瞬間、僕は背筋がゾクリと泡立った。
奇妙な感覚だった。
ニアが、僕がつけた名前を忘れてしまう?
それは僕も?
ニアはいつか、僕の事も忘れてしまう?
それは僕も?
僕らはいづれ、離れ離れになってしまうから?

初めて恐怖が湧いた。
内側に渦を巻いてとらえようのない何かを掻き混ぜている感触がした。
ざわざわと喉のあたりが音を立てた。
嵐の前に木々が風に揺れるのに似ていた。
僕は何故だか、ひどく泣きそうな気持になった。

「メロ?」

僕が黙っていると、いぶかしんだニアが僕の名を呼んだ。
ニアが僕のためにつけてくれた、綺麗な名前だった。

「ニア、君はいつか、僕を忘れてしまうの?」

声を抑えて聞くと、ニアはひどく困った顔をして、その後に小さく笑った。

「そうかもしれません。ここにいる、あなたと一緒に過ごす時間は、きっと私の一生ではほんの一瞬の間のことですから」

僕は嘘でも、忘れないと言ってほしかった。
僕はきっと忘れない。
ニアを忘れない。
ニアがつけてくれた名前も、僕がつけたニアという名前も、白い毛並みも緋色の目も、凛と鳴る声も、肌に触れる、体温でさえも。

あぁ、僕は。

その時初めて思ってしまった。
僕は自分の猫でなくてもいい。
自分のためだけに生きれなくてもいい。
僕はニアを、僕ではない他の猫を、愛してしまった。


「僕は、君の猫になりたかった」


僕が小さくそう零すと、僕を見ていたニアが丸いビー玉みたいな眼をさらに丸くした。
僕はごく近くにあったニアの鼻先に自分の鼻先をくっつけて、それから驚いたように開いていた口にキスをした。
ざらついた舌を唇に這わせると、ニアは戸惑ったように身を捩った。

「?メロ?」

困惑しているニアに、僕はキスを重ねながらその体を床に押し付けてニアを見た。
光がない世界でも、僕の眼ははっきりとニアを捉えていた。
この鮮明に脳に残るイメージすら、いつかは失われてしまうのだろうか。
だとしたら世界は、なんて非情なんだろう。

「僕は君を、覚えていたいよ」

泣きそうな声になってしまった。
強すぎる懇願で、こんなに哀しい気持ちを僕は忘れるはずがないと思った。
それでも不安はぐるぐる僕を頭のてっぺんから足の先まで支配して。
僕はニアの首に歯を立てながら、何度も何度も小さく呟いた。


「君の猫になりたい」


それが何かを解決してくれるとは思っていなかった。
期待も希望もなかった。
その行為がニアの中に僕の存在を刻みつける役割を果たすとも思えなかった。
僕らはきっと忘れてしまうけれど。
僕らはきっと離れ離れになってしまうけれど。
それでも僕はニアを忘れたくないと強く強く願ったから。
その気持ちだけは、心のどこかで覚えていたいと思った。
ニアもそう思っていてくれたなら、それだけでもいい。
何故だかニアまで泣きそうに緋色の瞳を歪めていて、僕は優しくその瞼にキスを落とすと、ニアの唇にもう一度キスを落とした。

「あなたを忘れたくない」

ニアは震える声で呟いた。
僕はそれに頷くしかできない。

「こんなことを望むことに、意味なんてたぶんないけれど」

そう言って泣くニアを僕は優しく抱きしめて目を閉じた。
もし神様がいるとしたら、僕をニアの猫にしてください、なんて傲慢なことは望まないから、ただ死ぬ間際に思い出させてほしいと思った。
ニアとこうしてキスをしたことを。
それまで僕は、僕以外を愛さないと誓うから。
他に愛したのは、ずっとずっとニアだけだと誓うから。
だから、最後の一瞬だけ思い出させてほしい。
柔らかい白を、優しい目を、暖かい、吐息を‥‥‥


その日以来、僕らはぴったりとくっつきあって生活した。
少しでも体がニアの体温を覚えておいてくれるように。
願わくばずっと、このままこの温かさを覚えていられるように。
けれどそんな淡い希望が、叶うことなんてありえなかった。

別れは突然だった。
別れの予感すら、神様は与えてくれなかった。
ニアが僕のハコの中に現われてから、半年が過ぎた。
明るいキャラメルブラウンに、赤い眼鏡をかけた女が、とても熱心に僕らのハコの中を覗いていた。
僕はひどく不安になって、――最近では少しこちらに目を向ける人間が現われるだけで狂ってしまいそうなほどの不安に駆られた―― ニアを隠すようにニアの前に寝そべっていた。
けれど、その女はしばらくのあと身をひるがえすと、店を出ずに店員の方へ向かって行った。
僕はすぐに、ニアとの別れを悟ってしまった。
それと同時に、店員とその女の話し声が聞こえた。
薬を毎日定期時にあたえなければならないんですよ、えぇ構いませんとも。

僕は無力感に絶望した。
さようならという言葉が一瞬頭に浮かんだけれど、そんな言葉は到底口にできなかった。
すぐさま店員がやってきて、僕らの世界を開けた。
外の世界はわずかに寒く、僕の肌の上を冷たい空気がぬるりと這った。
ニアは僕らのハコに侵入してきた手に捉えられ、僕はどうすることもできず、だからといって黙ってニアが言ってしまうのを見ていることもできなくて、ニアを掴んだ手に飛び付いて爪を立てたりした。
けれどやっぱり、どうにもならなかった。
僕は簡単に振り払われて、ニアはハコの外に連れ出されてしまう。

「ニアっ!」

一際大きな声が出た。
ニアは僕を見て、その眼がすでにうっすら濡れているから、僕はどうしようもないくらい哀しくなってしまう。
待って、いかないで、ずっとそばに居てくれよ。
そんなこと、言ってもどうにもならないと分かっていた。
それなのに僕は、そんな意味のない言葉を喉の奥が痛くなるほど叫んでいた。
どこにもいかないで。
僕の傍に居て。
僕を君の、猫にしてくれよ。
その言葉のひとつひとつに、たぶんニアは傷ついているだろうと思った。
僕はハコのギリギリに立って手を差し出した。
その手がニアの指先に触れる。
そうしてニアはハコを出る間際、ようやく口を開いた。
零れた声は、冷えた空気に消えてしまいそうなほど小さかった。


「さよなら、メロ」


「ニアっ!!」

触れた指先が離れた。
遠ざかっていくニアの瞳から目が離せない。
僕はきっと一生、あの紅を忘れない‥‥‥

「ちょっと待ってくれ!!」

店内に、場違いに大きな声が響いた。
僕は驚いて


◇◇◇

「あーっ、駄目だ」

俺は思わず唸って、パソコンの画面から離れると頭をかいた。
なんか上手くいかない。
読み直してみようかと少し思って、でも正直言って内容が恥ずかしすぎてそんな気になれなかった。
これは確実に削除だな、そう思ってマウスに手を置いたところで、寝室のドアが僅かに軋んだ。

「メロ、コーヒー淹れましたよ」

両手にマグカップを一つずつ乗せて、見てるこっちがハラハラするほど不安定な足取りでニアが入ってきた。
手を伸ばせるだけ伸ばして早々にニアからマグを受け取ると、ニアは俺の傍らに立ってから、何してるんですか?と聞いた。
俺は慌てて、ノートパソコンを閉じようとした。
こんなもん見られたら、確実にニアに馬鹿にされる。
ところが、俺がディスプレイに手をかけたところで、突然ニアが俺の膝の上に、手に持っていた焦げ茶色の液体を滴らせた。

「熱っ!!?」

驚いてそちらに目を移すと、そのすきにニアは俺とPCの間に入り込んで、マウスをカチカチ動かした。
すぐさまニアを傍らに避けて急いでPCを閉じたが、ニアの顔を見ると口元が僅かに上がっているので、たぶん内容の大半を理解してしまったんだろう。
一般的な人間ならば、おそらくほんの2、3行しか読めなかっただろうが、相手はニアだ。
たぶん8割方読まれてしまったとみていい。

「部屋にこもって何やってるかと思ったら、こんなの書いてたんですか」

「悪かったな、こんなので」

そう言いながら、だからって言ってコーヒーをわざと零すなんて、なんて奴だと眉をひそめた。
ニアはクスクス笑いながら、だってあなたが私に隠し事しようとするから、と可愛こぶって首を傾げながら、ベッドの上に腰かけている。

「で?私たちに擬人化しているその猫たちが、あの子たちなんですか?」

ふーっと白い湯気を飛ばしながら聞いてくるニアに、曖昧に笑って答える。
するとニアは、予想通り呆れたように肩をすくめた。

「ビックリしましたよ。メロったら突然、猫を買い取るなんて言い出すんですもん」

今日、俺はニアと買い物へ行った。
ニアは滅多に外に出ないので、ニアと買い物に行くのは本当に半年に一度くらいのかなり珍しいことなのだ。
あの玩具が欲しい、そのパズルが欲しい、向こうで売っているプラモデルが欲しい、ニアの底なしの玩具への欲求を余すところなく満たしてやって、さてそろそろ帰るかと言い出した時だった。
たまたまひとつのペットショップが目にとまった。
正直に言って、ペットショップというのは苦手だった。
いろんな動物の匂いが混ざりあっていて、とてもいい臭いとは思えなかったし、何より箱詰めされた生き物を見るのは心地いいもんじゃない。
それに、そういう動物たちは大抵少し弱っているのだから。

それなのに、何故だか寄ってみようという気が起こった。
もちろんニアは、早く帰ろうと言って利かなかったけれど、少しだけ、と言い置いて、俺はそのペットショップに入った。
入口近くには血統証付きの動物たちが誇らしげにショーケースに飾られていた。
それを冷めた目で見つめていたら、突然奥の方から必死そうに鳴く猫の鳴き声が聞こえた。
なんだろう、と思って目を向けたら、赤い眼鏡をかけた女が、ちょうど店員から猫を受け取るところだった。
真っ白で真っ赤な目で、一目見ただけでニアを連想してしまうような猫だった。
けれど、その猫が鳴いたのだろうか、と思えば、どうも違う。
どうやら、同じショーケースに入れられていた猫が鳴いたらしかった。
店員の陰になって見えないその中を覗こうと、そっちに一歩踏み出したところで、俺の目に漆黒の毛並みの、他の猫たちより少し大きな猫を見つけた。
その猫が、泣いていたのだ。
まるで、箱から出ていく猫を恋しがるかのように。
それを見ていたら、いてもたってもいられなくなって、俺は思わず声を上げていた。

『その猫、俺に譲ってくれ。定価の倍払うから、そっちの猫とセットで。』

それを聞くと、店員も眼鏡の女も、そして横に立っていたニアも、一様に目を丸くした。
ニアに至っては唖然としていて、呟くように、頭打ちました?と聞かれてしまった。
自分自身、何でそんなことを言ったのかよく分からなかった。
よくテレビなんかで、

『ペットショップに行った時にこの子と目が合ったんですよーもう運命だと思いましたねぇ』

なんて言ってるのを聞くと、頭ぶちぬかれたいのか?と思うほど不愉快な気持ちになっていたというのに。
なんだか少しだけその気持ちが理解できるような気がして、自分自身のことなのにひどく不愉快な気分になってしまった。
とにかく、店員と眼鏡の女を説得して――と言っても金を倍払うと言った時点で結果は決まっていたのだが――俺はその猫二匹を購入した。
金を払っている間も、ニアは理解できないとでも言いたげな表情で俺を見ていた。

「本当に、ビックリしました。頭おかしくなったのかと思って」

そう言いながら、ニアはだいぶ冷めたコーヒーをちまちま啜っている。

「だって、可哀想じゃないか。ずっと一緒にいたのに、突然離れ離れにされてしまうなんてさ。あの女も非情だよな、一緒に買い取ってやるべきだろ」

「いつから動物愛好家になったんですか」

呆れているニアに、うるせぇよ、と返してコーヒーを飲みほした。
底の方にコーヒーが溶け残っている。
ニアはインスタントしか淹れない。
インスタントコーヒーは、恐ろしいことにニアが作れるたった一つの“料理”なのだ。

「で、猫は?」

「リビングで丸まって寝てますよ。ぴったりくっ付き合って」

それを聞くと、やっぱり買い取ってよかったと思ってしまった。
無意味なことをしたかなと、喉の奥あたりにインスタントコーヒーみたいに溶け残っていた戸惑いが、すっと溶けていく気がした。

「それで、理由は可哀想だったから、だけですか?」

挑発するようなニアの声音に視線をそちらへ移すと、意地悪そうに口角を上げたニアがこちらを見ていた。

「あの子たちを私たちに変換してそんなもの書くくらいですもんね。まるで私たちみたいで、放っておけなかったんでしょう?」

そう言われると、反論のしようがなかった。
確かに、不可抗力とはいえ無理やり離れ離れになってしまう二匹を見て、自分たちの姿に重ねてしまった。
“Lの死”という現実によって、バラバラになってしまったあの日のことを思い出してしまったんだ。
そうしたら、何が何でも離れ離れになんかさせたくなくなってしまって。
定価の倍の値を支払ってまで買い取ってしまった。
結局俺が可哀想と思ってたのはあの子猫たちじゃなくて、自分で、つまり俺はちっとも動物愛好家なんかじゃなかったってことだな。

「さて、そろそろあの白い子のお薬の時間ですよ」

俺の倍以上の時間をかけてコーヒーを飲みほしたニアが、ベッドから立ち上がって言った。

「あぁ、そうだったな」

俺もそう返して立ち上がると、PCの電源を切る。
削除か保存か少し迷ったが、せっかくなので保存しておいた。
消すのはいつでもできるしな。
ニアの手からマグを受け取って一緒にリビングに行きながら、俺はニアに聞いた。

「あいつら、名前何にしようか?」

「白と黒でいいんじゃないですか?」

見たまんまじゃねぇか、酷いセンスだ。
口には出さなかったが、俺の表情から俺が言わんとすることが分かったんだろう、ニアは俺と同じくらい露骨に表情を曇らせて唇を尖らせた。

「メロの好きにすればいいじゃないですか。いちいち私に聞かないでください」

その顔が意外に可愛くて気に入っているので、思わず笑うと、ニアはますますつまらなさそうな顔をした。

「そうだなぁ。ミハエルとネイト、とか」

リビングに行く前にキッチンでマグを流しに置きながら言うと、ニアは絶対だめです、と断固拒否してくる。
結構いい名かも、と思っていた俺が、どうして?と聞けば、

「そんな重大な秘密をあの子たちに与えるつもりですか?」

と刺々しい問いが返ってきた。
俺は別にそこまで気にしていなかったので、一体何にニアがそんなに機嫌を損ねているのか理解しかねて言った。

「別に構わないだろ?どうせここに訪ねて来る奴なんてそうそういないし。あの猫から俺たちの本名がバレることもないさ」

「そう言う意味じゃなくて‥‥私だって、‥‥メロの名前を知るのにすごく時間がかかったのに‥‥」

ニアの返事を聞いて、俺は危うくリビングのドアを開けずに中に入ろうとするところだった。
寸でのところでドアに気付いて立ち止まると、俺の後をついてきていたニアも立ち止まった。
振り返って見たら、相変わらず不機嫌な表情のまま俺から目を逸らしている。
ニアが目を逸らしている時なんて、大抵は拗ねている時か照れている時だとすでに理解していたので、俺はおかしくなって笑ってしまった。
そして、やっぱりあの2匹の名前はこれで決まりだと思った。

「そう拗ねるなよ。そうだ、あの2匹を俺たちの子供にしようよ」

ドアを開けてニアをリビングに通しながらそう言うと、ニアはやっぱり眉根を寄せたまま、さらに呆れたように溜息をついて、

「絶対嫌です」

と言った。
どうして?とまたさっきと同じように聞けば、さっきと同じように唇を尖らせたまま、ニアが口を開いた。

「だって子供ができたら、子供が一番になってしまうんですよ?私、メロの2番なんて絶対嫌です」

その答えに、自分でも呆れるほど満足してしまって、俺はつんとそっぽを向いてしまったニアの正面に回り込んでキスをした。
ニアは最初こそ嫌がっていたが、ゆっくり溶けるようにキスを重ねると、そのうち俺の頬に手を添えて応えるようになった。
緩く繋がって唇を放すと、ニアは少し潤んだ目で俺を見て、まぁ、あなたが約束するなら、と少しぶっきらぼうに言い放つ。

「あなたがずっと、私を一番にするって言うなら、考えてあげなくもないです」

その言葉に当然のごとく頷くと、ニアの顔がふっと綻んだ。
その表情に唇を寄せると、ニアは慌てて俺から逃れて、今は薬が先でしょう、と厳しい口調で言う。
俺は肩をすくめてから謝ると、そのままペットショップから貰ってきた薬を小さな哺乳瓶に入れ替えて猫が眠っているカゴの近くに寄った。
2匹の猫たちは、くっつき合って眠っている。
まるで一対のようで、それを見ると自然と口元が綻んだ。
同じようにして猫を見つめているニアと笑い合って、それからもう一度キスをした。
きっと明日も、こうしてニアとキスを繰り返すだろうと思った。
買い換えたばかりの新しい蛍光灯の光に照らされながら、この部屋の中で。

たぶん、明日も明後日も、俺たちはずっとずっとこの部屋の中で。
四角く切り取られた俺たちのハコの中で。
幸せと呼ぶのにふさわしい感情で満ちた、俺たちの世界の中で、いつまでも、ずっと。

                                          FIN.




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もはや、遥か彼方のお絵チャの萌え話で盛り上がった
こねこメロニア話をりりーさんが徹夜明けの一晩でSSにしてくれました。
まさにリアルジェバンニ!
参加者にフリー作品としてプレゼントしてくださったのを今になって掲載
です……ごめんなさい…そしてありがとうリリーさん!

多分ウチのサイトに来てくださる人は全員他のサイトで読んでるかと思い
ますが…時間がたった分、読み返したら新鮮かと思われます…^^。

メロとかニアとかまんま猫っぽい名前で二人にぴったりのお話ですよねえー
これから猫を飼う人は白にはニア、黒にはメロと名づけましょう〜
私もずっとそう思っているんですよねえーあ〜猫飼いたい♪