「メロは、キスがしたいのですか?」
「な、ななな何言ってるんだ!? ニア!」
その日の朝、挨拶を済ませるなりニアは突然そんな事を言い出してきた。
そりゃ、僕たちは付き合い始めてからそれなりの期間を一緒に過ごしてきたし、手を繋ぐ程度なら人目をはばからないくらいの関係にはなった。
確かにそろそろキスの一つもしたいとは思っていたけど、まさかニアの方からそんな話題を振ってくるなんて……
ニアは、僕の動揺を見透かすかのような冷ややかな視線を向けてくる。
僕はどう答えたものかと考えあぐねていたのだが、このまま何も言えないのは悔しい。
とにかく「したい」、「したくない」で言えば間違いなく「したい」のだが、そんな事をニアへストレートに言う訳にはいかない。
ちょっとでも弱みを見せると、間違いなく主導権を向こうに握られてしまうからだ。
とりあえず、ここは強がる振りをして……
ところが僕が言葉を発する前に、ニアが釘を刺すかのように言ってきたんだ。
「あ、先に言っておきますが、私はそのようなものに興味はありませんので」
「え……!? はあ? な、何それ……じゃあ、何でそんなこと僕に聞いたんだ?」
僕はニアの真意が掴めずに思わず聞き返したのだが、結果、聞かなきゃ良かったと思わされる事実を知ってしまうことになった。
「いえ……、昨日の放課後、あなた多目的教室でパソコンを使って映画を見ていましたよね?」
「え、な、何で知ってるんだ……?」
「ちょうど私も調べものをしていまして、辞書ディスクを取りに教室へ入ったのですが、あなたはどうやら映画に夢中で気が付かなかったようですね」
「あ、い、言っておくけど、別にいやらしい映画を見ていた訳じゃ、ないからな!」
「はい、どうやら恋愛物のドラマのようでしたね」
「あ、ああ……そうだけど……ぼ、僕が恋愛物なんか見てたら、おかしいか?」
「いえ、そんなことはありません。ですが……」
ま、まさかニアの奴。あのことを知っていてこんな質問をしたのか……?
「キスシーンだけを何度も繰り返して再生してたので、それで『メロはキスがしたい』のかと思いまして聞いたのですが……」
「わーーーー!! た、頼む! ニア、誰にも言わないでくれ!!!」
「ええ、そんな恥ずかしい人と付き合ってると思われたくないので、誰にも言いません」
「は……恥ずかしい……」
これでもうこの先ニアと付き合っていく上で、僕が主導権を握ることはなさそうだ……
だがしかし、正直言って僕はニアとの関係を進展させたかった。
そう、その為にも僕たちがキスを済ませることは、避けては通れない通過点には違いないと思っていた。
ニアは、本当にキスなんかには興味が無いのだろうか……
「そ、そんなこと言うけどお前本当にキスとか、その、興味ないのか?」
「ええ、今までそのようなことを『したい』と思ったことはありませんので」
ん?
ということは……
ニアがキスをしたいと思うようなことがあれば、もしかしたら可能性はあるのか?
「でも、僕たちは好き合ってるから、付き合ってるんだよな?」
「ええ、私はメロのこと、好きですよ?」
「そ、そっか……ははは……」
こんなふうに『好き』っていう言葉は臆面も無く言えるくせに……
「なら、好きな人とキスしたいって思うのも、当然だと思うんだけど……」
「なるほど。やはりあなた、私とキスしたいのですね?」
「ぐっ……そ、そうだよ! 僕たち付き合ってるんだ、当たり前だろ!!」
「そうですね。ですが私はその『当たり前』というのが嫌いでして。そのような既成概念に縛られるほど、私達の関係は『普通』ではないと思います」
ああ、そうだな。
こんな会話、普通のカップルならしないって……
「まあいいです、話はこれまでで。私はあなたの気持ちを確認したかっただけですから」
そう言うと、ニアはさっさと何処かへ行ってしまった。
「と、いうわけなんだ、マット。お前どう思う?」
「どうって……メロって可哀想な奴だなって思った」
「やっぱそう思うか?」
「うん、恋愛映画でキスシーンだけ繰り返し見てるだなんて、ホント可哀想だよ」
「…って、そっちかよ!!」
話の流れでついつい口が滑ったのだが、自分でバラしてたら世話ないな、と思う。
「で、こうなったら僕としては意地でもニアとキスをしたいんだ。協力してくれよ」
「ん? どうしてそうなるの?」
「いや、このままでは僕はずっとニアに振り回されっぱなしだ。でももしニアがキスに興味をもってくれたら、立場としては対等に戻すことができる」
「……そうかな……? ま、俺は別にいいけどね」
「そっか、さすがマット! よろしく頼むよ」
教室で会うなり、自分の恥を晒してまでマットに協力を仰ぐことにした。
悔しいが、こと恋愛に関してはマットの方が一歩先を進んでいたんだ。
マットはリンダと付き合っていたんだが、結構進んだ仲になってると、いつも自慢のように聞かされていたんだ。
だから僕も……というのも、キス願望の原因に繋がってるのかもしれないな……
こうして僕の『ニアとのキスをゲット!』作戦が、スタートすることとなったのであった。
ニアにキスへの興味を持たせ、そしてそれを実行する。
午前中の授業時間は、その作戦を考えることで頭が一杯だった。
だが、今行われてる程度の授業内容なら、黒板と教科書を目で追う程度で簡単に身につけることが出来ているのだが、『ニアとのキスをゲット!』作戦は、どれだけハウスNo2の頭脳をフル回転させても思いつくことが出来なかった。
結局昼休みまでに浮かんだ作戦は、大したものじゃなかった。
でも何もしないよりはマシだ。
というわけで早速マットの協力のもと、実行に移すことに決めた。
「ニア、悪いけどちょっとマットと話があるから、今日は先に食べておいてもらえるか?」
「ええ、構いませんよ」
僕はニアを先に食堂へと追いやると、マットのところへと向かった。
「マット、悪いけどランチの後で早速頼むわ」
「ん、わかった。で、俺って何をすればいいわけ?」
「実は、ニアの前でリンダとキスをして欲しいんだ」
「えっ! えええぇぇぇぇ〜〜!! な、何言ってるんだ!? メロ!」
「いや……とりあえずニアにも『キス』って奴を見せたいと思って。よりリアルにそれを体験するには、知ってる奴のを直に見るのが効果的だと思ってな」
「そ、そそそそんなこと、お、俺、出来ないって……」
「え? キスなんて挨拶代わりなんだろ? 別にいいじゃないか」
「え、いや、だから『ニアの前で』ってのはちょっと……」
ん?
いつものマットの口ぶりからすると、もっとすんなりOKするかと思ったんだけど。
「ああ、でもリンダには『ランチの後、教育棟の裏庭に来てくれ』ってマットが言ってた、ってもう伝えてあるから」
「何っ!? な、そ、そんな……俺、やらない……」
「そうか……残念だったな。折角、リンダの研修旅行中にお前がハウスの女子寮を覗いて、ロジャーに反省室に放り込まれたの、黙っててやろうと思ったんだけど……」
「わっ!! わわわ〜っ! そ、それだけは勘弁してくれ〜〜!!」
「なら、決まりだな」
僕はこのマットの反応で気がつくべきだったんだ。
この作戦の大前提が、実は欠陥のあるものだったということに……