天才少年
雑多な感想・フリートーク集です
天才について考えてみました。 いつの時代も大衆というものは若く美しく夭折する天才を渇望するそうです。 薄幸や破滅をかかえているとなおの事よいようで、 なるほど芥川龍之介、太宰治、ニジンスキーなど死後も熱狂的なファンを 持つ天才はこの条件を満たしていますね。 近年ではシド・ヴィシャス、山田かまち、尾崎豊なども入るでしょう。 天才は天才であるがゆえに凡人に理解されず社会との軋轢や 自身の理想と現実のギャップにもがき苦しみ 精神的に壊れていき非業の最期を遂げる、 それでこそ天才! といいますか世に支持される天才と不幸はセット販売なのかもしれません。 有り体に言えば、自分の破滅願望・悲劇願望やを代わりに満たしてくれたから お返しにあがめ奉ろうという図式が浮かび上がり薄ら怖い気もしますね、 まあ時代の寵児というものは大衆のおもちゃであるという事なのでしょうか? さて、デスノには天才はいっぱいいるのですが 一番人気のLはやはりこの一般受け天才カテゴリーに属すると思います。 (精神は頑強ですが。) 色々なアンケートなどを見ても主人公の月よりLが一番人気のようですが もしもLが死んでなかったら人気は月と互角だったと思うのですよね、 もちろんこれはifの話に過ぎませんし、Lの人気にもの申す意図のものでは ありません。 しかし、Lは道半ばに死んでこそLなのだなあと思います。 先日エヴァンゲリオンのカヲルくんの事を書きましたが彼も夭折の薄幸の 天才であり絶大な支持をいまなお受け 死んでこそ完成されたキャラなのでしょう。 これらの典型的天才キャラクターに較べるとニアは珍しい、 あまり一般受けしない天才キャラなのかもしれませんね、 人使い上手いですし、全然アイデンティティについて悩んでなさそうですし… なんだかんだいって世渡り上手ですからね、 主要キャラで一人だけ生きてますし… 小賢しい印象を持つ人は持つのでしょう。 ですが極一般大衆の小市民の私がこんなにニアに心惹かれるのですから 一般受けしないとはどうにも考えにくいので、ニアは21世紀型天才 スタイルであるのかもしれませんし、そうであるといいなあと思います。 和製シド・ヴィシャスと謳われた町田町蔵(町田康)は本家と違う道をたどり 芥川賞作家になり、愚痴ばっかじゃんのエッセイを書いたり 布袋寅泰氏と喧嘩してボコられて嫁はんが布袋氏を傷害で告訴などと なんだかあんまりパンクではない、むしろ格好悪い生き様をさらしてますが 私はシドより町蔵のほうが好きですし、興味深く見つめておりますよ。 アニメで綺麗に死んだ月より生にひたすら執着した原作月のほうが 好きですよ! デスノ最終回、主人公、副主人公以下死んだキャラは回想のビジョンすら 登場しません。 死んだら無なのですから。 死を美化しない徹底した作者の姿勢は私は非常に高く評価してますし こういったお話が21世紀になりメガヒットを飛ばしたのも 時代や人々の嗜好が変化しているのだという 象徴であればいいなあと思います。 生き抜くことは才能だと思うのですよ。 |